【映画化】メルボルンカップ優勝!女性騎手の壮絶な人生
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映画化された実話
映画『ライド・ライク・ア・ガール』が今年7月日本でも公開され、
オーストラリア競馬界最高峰のレース、メルボルンカップを初めて制した女性騎手ミシェル・ペイン、
彼女の波乱に満ちた半生が感動を呼んでいる。
母の死、騎手である姉の死、落馬の事故を乗り越え、ダウン症の兄スティービーと共に掴んだ栄光。
スティービーは、ストラッパー(日本風に言うと担当厩務員)として共に歩み、
そして公開された映画では本人役を演じている。
メルボルンカップは、ビクトリア州では祝日で休みになるほどの国民的大イベント。
レースの時は、オーストラリア中の時が止まると言われ、誰もがレースに釘付けになる。
そしてその大舞台で、155年の歴史で初めて女性で制覇したミシェル・ペイン。
ミシェル・ペインの生い立ち
ほとんどが騎手という競馬一家に生まれたミシェル。
10人きょうだいの末娘で、父は有名な調教師。母はミシェルが6ヶ月の時に車の事故で亡くなっている。
父はその時から、16才をはじめとする10人の子を育てていく。
下の2人の子、ダウン症の兄スティービーとミシェルはよく一緒に遊んでいた。
10人もいれば家はいつも大変で、馬小屋の世話や子供それぞれに仕事が割り振られていた。
そして、兄弟の10人中8人が騎手になっていった。
厳しい父の元で、ミシェルも騎手を目指す。ミシェル自身も、「とにかく頑固で意志の強い子供だった、自分のことは自分でしなければならならず人に甘えることは出来なかった。6歳の時に兄のパトリックが乗るメルボルンカップを初めてみたその時から、
レースの大きさと華やかな雰囲気に感動し、メルボルンカップの虜になった。」と語る。
騎手になった兄や姉のレースも全てチェックして、見習う点、気を付ける点など、
常に自分が騎手になったつもりで観戦していました。とにかく騎手になることだけを考えていた。
ミシェルも騎手の道へ、女性騎手ならではの苦労と大きな挫折
15歳でアプレンティス(見習い騎手)になり、デビュー戦では父が管理していた馬で初勝利を挙げるという、
夢のようなスタートを切る。その後は、チャンスを求めて父の元を飛び出すが、
当時はやはり女性騎手にとって厳しい世界だ、あらゆる嫌がらせや差別、偏見をうけることになる。
その後は自身の7度の落馬とケガ、騎手である姉のブリジットがレース中落馬して命を落とす事故が起き、
そして自分も落馬によって頭蓋骨骨折の重傷を負ってしまう。
その後のリハビリとトレーニングの厳しさ、レースに出るために体重をそぎ落とすトレーニングの苦しさ、
結婚して騎手をやめていく姉たちを見ながら、決して諦めないミシェル。
競馬の騎手はいつ何時、落馬で命を落とすかわからない。
恐怖とプレッシャーと常に戦いながら、ダウン症の兄スティービーはいつも側で支えてくれていた。
G1で勝利、そしてメルボルンカップを制覇
数々の苦難を乗り越え、成長していったミシェルは、2009年にはG1で勝利。
プリンスオブペンザンスとの出会いから、そして2015年には夢のメルボルンカップを制覇を成し遂げた。
このときは、日本馬フェイムゲームもメルボルンに遠征し1番人気、
もう1頭の日本馬ホッコーブレーヴも出場していた。
実はこのときのミシェルの馬プリンスオブペンザンスは、人気23番目の単勝はなんと101倍!
誰も予想していなかった勝負に、「自分でオッズをつけた」ミシェルの賭けも大勝利に終わったのだ。
女性騎手では勝てないとされてきた競馬界の“聖杯”を手にした瞬間だった。
ペインファミリーの家族の思いを胸に、様々な苦難を乗り越えて勝ち取った勝利に、
オーストラリア中が沸いた瞬間だった。
参照元:SEVEN NETWORK
オーストラリアでの特集映像
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