【アルコール中毒を乗り越えて】森のホームレスから大学教授に!

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【アルコール中毒を乗り越えて】森のホームレスから大学教授に!
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子供時代から虐待を受け、成長してからは暴力、アルコール中毒、麻薬、精神病を経て、隠遁者として森に住んでいたホームレスのグレゴリーさんが、大学教授になるまでのリアルストーリーのご紹介です!

 
日本でも、これらの問題が取り上げらることも多い最近ですが、ささいなことから転落する人もいれば、家庭問題を持つ家族の下で育った場合もあり、心の問題はさまざまな形で現れます。

 
「何かのきっかけで生きる道を見つけ、再び社会に戻れる人もいることを伝えたい。」
とグレゴリーさんは語っています。

 

複雑で険しい環境の幼少期

NSW州のタムワースで生まれたグレゴリーさんは、妹5人と父と母の8人家族で育った。
父親はアル中でいつも暴力を振るうひどい男だった。
いつも母や妹たちを殴り、グレゴリーを殴っていた。そして、彼は妹を助けようとして、更に虐待されることになった。

 
そんな生活の中である日、叔母の家に行くと言って母に車に乗せられると、連れて行かれのは孤児院だった。10才の時だった。
自分と妹達は捨てられたのだと、数日後にやっと気がついた。そして、それ以来、二度と母を信用することはなかった。

 
孤児院は酷いところだった。そこでも虐待を受け続けた。
グレゴリーさんは性的な虐待も受け、妹はまだ4才で何時間もジャガイモの皮を剥かされ、宿舎で毎晩泣きながら寝ていた。罰といっては狭いクローゼットに閉じ込められて、水も食べ物も与えられず何時間もじっとしているしかなかった。

 
そして、いつしか自分が安心できる場所を、頭の中で作りあげていった。
それは森の中だった。

 

 

アルコール中毒に。。。

孤児院を出た後は、小さな犯罪を犯して少年院に4年ほど入る。

 
勉強は全くできない。IQは低く、常に社会にに対して怒りを感じていた。心理学者は彼のことをソシオパス(社会病質者)と診断する。
少年院から外の世界に出ても、なにかあればすぐにけんかを始めてしまう。人が横目で自分を見ただけでもけんかをしていた。彼女ができても、お酒を飲んでけんかをして彼女に暴力を振るった。そうしていつのまにか、彼自身も父親と同じになっていたことに気がついた。25才の頃だった。

 

 

森でホームレス生活

人生をやり直そうと、仕事を探して何度も挑戦したが、うまくいかない。そのうち兄妹からも見捨てられてしまい、3年〜3年半は流れるままにヒッチハイクの生活を続けた。行き着いた先が森だった。最初の晩は大雨で全身ずぶ濡れになったのを覚えている。それからは生きるために虫やトカゲなど食べた。オーストラリアの中でもグレゴリーさんがいた森はNSW州で、冬はとても寒い。1人でどうやって生き延びれられたのか不思議だ、と後で知り合った心理学者は言う。

 
だがそこは森の中、グレゴリーにとってはむかし頭の中で作り上げた安全な場所の「森」と同じだった。
寝どころを作り、現金を手に入れるために隣に大麻を育てて売っていた。

 
「自分でも、あの頃はサイコシス(精神病)でもあったと思う、エイリアンやグレムリンと話していたよ。そのうちに森の中でご先祖様とも話した、こんな生き方はダメだと言われたんだ。」と語る。

 
彼は森に10年ほどいたと思う、というが、土地のオーナーはもっと短かったと言う。どちらにしろ覚えていない、と。

 

すべては自分自身

このままではいけない、と、とにかく森から出てきたけれど、詳しいことは覚えていない。道で車にひかれて病院の精神病棟に入れられて病院から出た後は、気がついたら公園のベンチに座っていた。

 
そして、自分自身がこの最悪な状況を作り出してしまったとやっと気がついた。

 
周りのせいにしていたが、全て自分が作り出したと気づいた。自分と戦っていた。もう、戦いたくないと思い、そのベンチで誓った。もう決して前の自分には戻りたくないと。45才だった。

 
それからは全くお酒を飲まなくなり、頭もぼやけていたのがだんだんとはっきりし始めてきた。自分はまともに教育も受けていない、とにかく学校に行きたい、とゴールドコーストの専門学校の受付に行った。着の身着のままの姿のグレゴリーを見た職員は、すぐに事情があることを察して彼の話を聞いた。そして「第3期教育」と言われる、大人向けに卒業資格や修了証を付与するセカンドチャンスをサポートするコースを彼に紹介する。それからは、海辺で車で寝泊まりするホームレスとして暮らしながら、専門学校に通い出した。まるでスポンジのように、なにもかも吸収していった。社会学が目に留まり、最初は「社会学」という単語も知らなかったのが、調べてみたら、”これだ” と思った。

 
自分がなぜこれほどまで「社会」が嫌いなのか知りたいと思ったからだ。
 

 

さらなる転機。自分は1人じゃない

そして勉強を続けて大学に進むことができた。課題のリサーチをしているときに、偶然「忘れられたオーストラリア人」という資料に出会った。そのレポートは、施設に送られた5万人もの子供たちが、施設で虐待を受け続けてきたこと、そのこと自体がずっと伏せられ抹消されてきたこと、忘れられていることについて、そのトラウマについて詳細に記載されていた。まぎれもなく、これは私だった。

 

 

このことが、グレゴリーさんの更なる転機だった。
人間として彼が一番怖かったことは、痛み、トラウマ、孤独を一人だけで生きていると思い込んでいたことだ。この資料を見て、実は他の多くの人たちも同じような経験をしていたことがわかった。1人ではなかったのだ。それからは、もう何も人に説明することもない、怒ることもなかった。妹とも仲良くなり、変わっていった彼を見てびっくりした。妹もアル中だったが、彼の姿を見て変わることができた。

 
大学の勉強ももっと真剣に取り組むようになり、奨学金ももらうことができた。そして博士号を最優秀で卒業。
今では大学で教授として教えている。学生からも人気の先生だ。
彼と同じ経験をした学生もいる。彼の存在は励ましになっているのだ。

 
グレゴリーはいまは大学のキャンパスと行ったり来たりをしながら、土地を買って家を建てている。むかしはソシオパス(社会病質者)と言われ、無能と言われたが、博士号もとることができた。もしかしたら自分は賢いのではないのかと思うようになった。今は自分をソシオパスとは思わない、僕は人間だと思う。他の人たちと一緒なんだ。と語っている。

 
今では年に一度5人の妹たちと集まって何日かを過ごす。スーパーに行って食料を買い、川辺でフィッシュ&チップスを食べたり、子供の頃にはなかった静かな時を一緒に過ごしているそうだ。

 
しかも、彼のストーリーは本として出版されている。
参照元:ABC

 

オーストラリアの特集映像

国営ABCテレビのドキュメンタリー番組「オーストラリアン・ストーリー」
TVで本物の”リアル” を描くことを主軸に据え、リアルなオーストラリア人を紹介し続けて数々の賞を受賞。ナレーションはなくインタビューだけの構成となっており、人々の口から語られる言葉には説得力があり、考え、感じさせられる。

 

 
 

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